1年越しで大切な友とお別れできた、永平寺の灯籠ながし。
米寿まで定例会するからね!
そう言っていたのに。
還暦を迎えることなく、しかも気づかぬうちに旅立ってしまって。
久しぶりに覗いた友のFacebookに、思いがけない投稿を見つけたのは昨年の9月。
投稿主は、同級生。
突然の訃報を伝えるもので、感謝の言葉と葬儀の案内が書かれていました。
近況を知るつもりが、亡くなったことを知ることになり…。
それも半年以上過ぎていたから、本当にショックで。スマホを呆然と眺めるしかなかったです。
亡くなるなんて思ってもいなかったから、もう大丈夫だと思っていたから。
あの病に勝てなかったのだということがショックでした。
父と同じ病気を患い、でも、友は父より若く、体力も気力も、何より運命と闘う熱量がすごかった。
やれることは、やった。そう、思います。
10年前、父の主治医がこう言ったんです。
「あと10年もしないうちに、この病気で亡くなる人はいなくなる。それくらいこの病気治療への医学の進歩は早い。」
聞いた当時、残された父との時間がない家族に、今更そんな虚しい話をするか!と怒りすら感じたけど、
ウィルスキャリアながら、まだ全然元気だった友にはこの上ない朗報になると思い、
「医学の進歩が追いつくまでの時間稼ぎをしよう!」
そう励ましあったことを思い出します。
そして本当に10年かからず、投薬でウィルスを排除できる時代になり。
友も3週間程度の投薬で、あんなに苦しめられたウィルスとの長い闘いを終えることに。
その報告を聞いた2年前のお誕生会、
「間に合ったんだね。」
と言った後、涙で声にならなかった。
もうひとりの友が買ってきてくれたアンリシャルパンティエのバースデーケーキ。数寄屋橋のビックエコーでカラオケしながら3人で食べたねー。
父には叶わなかったことが、友に出来たことが何より本当に本当に嬉しかった。
間に合った。
間に合った。
何度、かみしめたことか。
なのに…。
友は、同僚で、先輩で、師匠。
仕事の悩みやグチには「愛だよ、愛!」がお決まりで、
困難には「塞翁が馬だよ、人生は!」を繰り返し、
時折、故郷のなまりで「えがったなぁーーー」と他人の幸せを喜ぶ。
そんな友の見送りに参列もできず、お線香をあげることも出来なかった代わりに、どうしても行きたかった「永平寺の大灯籠ながし」。
(出典:永平寺大灯籠ながしHP)
永平寺の僧侶の読経と、九頭竜川を下る1万基の灯籠。
厳かで、切なくて。
もう会えなくなった友に、ようやくちゃんと話しかけられた気がしました。
1年も経ってしまったけど、この機会があってよかったです。
一緒に来てくれたオットと、この夏初めて見た8月の終わりの花火。
灯籠のあかりと花火が水面に映って、幻想的。
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。