とうとう合併症が発覚!延髄に脳梗塞が!!さらに胃ろうの可能性って!
手術当日はHCUで過ごしたオットも、状態が安定して翌日には元の病棟に。
相変わらず頭痛は激しいようで、オットは辛そうだった。
そして、残念なことに翌日になっても飲み込みは回復せず、食事も水分もNG。
栄養と水分は点滴で補給されていた。
そんな日が続いた手術7日目の2014年クリスマスイブ、とんでもないことが発覚する。
「脳梗塞…に、なっている」
術後から続くオットの激しい頭痛は、薬だけでは対処できず、凍った保冷剤を患部にあてることで何とか緩和していた。
ぬるく常温になった保冷剤を冷えたものに交換してもらった時、いつもは利き手の左で受け取るオットが、たまたまその時だけ右手で受け取って、運んでくれた看護士さんに言った。
「これ、冷えてませんよ」
このオットの何気ない一言に、看護士さんが慌ててドクターを呼びに行く。
すぐさま検査に行くと言う。
オットの右手は、温度を感じられなくなっていた。
延髄に6~7mmの脳梗塞が認められた。
主治医でもなく、執刀医でもなく、脳外科の部長に呼ばれ、わたしだけが検査結果の報告を受ける。
CTとMRIの画像を見ながらの説明中、わたしの頭の中は「なぜ?なぜ?なぜーーー??」のループが支配。
そんな兆候はなかったのに!
この治療はどうするのっ!!
部長の一言は絶望的だった。
「脳梗塞の治療はしません」
どーゆーことーーーーー!
理由はこうだった。
オットの脳梗塞の箇所が、今回の顔面けいれんの手術で神経と離した血管の延長上にあり、状況から手術の過程で血栓が飛び脳梗塞が起こった「合併症」と想定される。
つまり、脳梗塞発症後すでに数日以上が経過し、処置の効果が認められる期間をとっくに過ぎていると考えられる。
さらに、現在は今回の手術の術後の止血を優先させなければならず、脳梗塞の治療は逆効果となる。
ゆえに、このまま脳梗塞の処置はしない。
はぁ???????????
じゃあ、一体、オットはどうなってしまうの!!
怒りと悲しみと、とんでもないことが起こってしまったプチパニックで、目の前の部長に矢継ぎ早に質問を浴びせたことは記憶しているけど、細かな内容はもう覚えていない。
ただ、返ってきたいくつかの答えだけはよく覚えている。
脳梗塞の中でも軽い方。
明日からリハビリ。
年内の退院はナシ。
胃瘻になるかもしれない。
まだ若いから対応できる。
と、やまほど脳梗塞患者を診てきた脳外科部長の「よくあること、特別レベルじゃない」的な言い方が無性に腹立たしかった。
医者と言う職業柄、脳梗塞なんて、なのかもしれない。幸い、オットは、命があって話すことも出来ているから深刻になれないのかもしれない。
が、しかし、だ。
なってしまった当人や、その家族は「はい、そうですか」とは言えない!
ノーコーソク、なんですよ!!
どうしてくれるんですか!!
そう怒りながらも、責任を追及したところでオットの脳梗塞がなかったことにはならないと、瞬時に冷静になったわたしは一番気になったことを聞いた。
「胃瘻って、どういうことですか?」
延髄に起こった脳梗塞では「嚥下機能障害」が後遺症となるケースが多く、オットがそうであった場合、口から食事をとることが出来ず、胃瘻で生活していかなければならないかもしれない、と告げられた。
そして、その他人の痛みの全くわからない部長は、こうも言った。
「なあに、リハビリで回復したら胃の穴はいつでも塞げるから」
必要以上に不安にさせず、励ましているつもりかもしれないけど、わたしにはサイアクの医者にしか見えなかった。
病室に戻り、オットに検査結果を伝えた。
ただ、胃瘻のことだけは言えなかった。
わたし以上のショックを受けることは間違いなく、決定的になるまで言う必要がないと思ったから。
クリスマスイブのその日、病棟では看護士さんたちがサンタクロースの着ぐるみで病室にクリスマスの雰囲気を届けてくれていた。
もし、よかったらと、ベッドごとに写真を撮りに来てくれた。
元来、イベント好きでノリのよい夫婦の私たちは断るはずもなく、カメラに向かってピース!
包帯グルグル巻きのオットは、なんとか笑顔を作ろうとしていたけど、痛みに負け泣きそうな笑顔。
わたしは、そんな衝撃の告知があった日にもかかわらず、満面の笑み。
その記念写真は約1か月の入院期間中、オットのベッド脇に貼られることになる。
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