嚥下障害の克服に一筋の光、同病先輩のアドバイスに救われる
(※2014年の振り返りです)
12月27日(土)から1月4日(日)までの年末年始、オットの病院は9日間の休診。
お休みに入ると、病院に残る医師や看護士さん、スタッフの人数は最小限になり、病棟が急に静かに。
さらに、同部屋の方々も一時帰宅の許可が出ていたらしく、お休みとともに一斉にいなくなって、病室までがひっそり。
思いがけずオットだけになった6人部屋は、まるで大きな個室。
大部屋ゆえ普段はプライベートを確保するのに、カーテンで仕切りをしていたけど、誰もいないとなったら開けっぱなし。
おかげで、
「イチニ、イチニ」
声を出しながら。
なんの遠慮もなくベッドの上でバタバタと音を立てて自主トレができた。
この頃、顔面けいれん手術の傷口の抜糸がかない、入院10日目でようやく入浴許可。
もちろんシャワーのみだけど、毎日蒸しタオルの身体ふきだけだったから、入浴許可がどれだけ待ち遠しかったか。
けれど、一人での入浴はダメ。
後遺症の「めまい」と「歩行障害」があり危険なので、入浴には見守り兼付添いが必要。
男性の看護士さんがサポートすると言われたけど、付き添いは私がさせてもらうことに。
家族風呂サイズのユニットバスの洗い場まで支えて行き、椅子に腰かけるまでをサポート。
わたしはユニットバスの扉の向こうで音を聞き、オットの様子を感じながら、脱衣所で待つ。
愛用のシャンプーや石鹸で、久しぶりにサッパリしたオットを見ていたら、10年前に介護した父の姿を思い出して、切なくなった。
70歳過ぎの父の時ですら、想像よりも人生の早い時期に訪れた介護に、父の気持ちを思うたび切なかった。
こんなに早く娘の世話になるなんて、思ってもいなかっただろうから。
そう思うと、50歳のオットにはなおさら切なさを感じずにいられなかった。
病院が休診になり、診察もリハビリもないと一日がやたら長い。
自主トレメニューも1時間やれば十分だし、歩行訓練を兼ね病棟を散歩しても、すぐに一周してしまい、時間つぶしにならず。
DVDもたくさん持ってきたけれど、後遺症の「眼振」でジッと画面を見続けることが出来ず。
疲れちゃって、映画1本も最後まで見れない。
久しぶりのシャワーが気持ち良かったのか、ウトウトとし始めたオット。
入浴できたり、
抜糸して頭部の大きなガーゼがなくなったり、
私の支えが必要でも、なんとか病棟を一周できるほどに歩けるようになったり、
少しずつ、回復に向かっているのは何よりも嬉しかった。
だけど、嚥下障害だけは、他の後遺症と違って少しも良くなる兆しがない。
手術から10日経っても唾液すら飲み込めず、水の一滴も、もちろん食事も出来ていない。
ひたすら点滴で栄養を送り、命をつないでいる。
気持ちよさそうに眠るオットの顔を見ていたら、切ないを通り越して、不安でいっぱいになった。
このまま嚥下障害が治らず、医師に言われたように「胃瘻(いろう)」になったら、社会復帰などできないのではないか。
そうなったら食事の時間はどんな風になるのだろう。
食べられないオットの前で食事をするなど、到底できない。
それよりもなによりも…。
「おいしいね」
と、言い合えないかもしれないと思うと、たまらなかった。
オットが脳梗塞になりワレンベルグ症候群だと知らされてから、わたしは毎晩毎晩ネットで情報を探しまくった。
病気について、後遺症について、リハビリについて。
そうして調べるうちに、オットと同じワレンベルグ症候群になった方のブログにたどり着く。
後遺症と付き合いながら以前と同じ会社に戻り、社会復帰されている方もいれば、自宅療養中の方もいて。
同じ病気だけに、発症後の後遺症はよく似ているものの、その程度や回復の過程はさまざま。
人によって事情は異なるし、どの人も回復に向かう途上なのだと理解しつつも、オットの嚥下障害の変化のなさを毎日見続けていると、最も厳しい状況にある人のケースとオットが同様なのではないかと、
…勝手に想像して、勝手に落ち込んだ。
年末年始の休診の間、オットの嚥下障害の回復につながるようなトレーニングは、ST(言語療法士)さんに言われた「おでこ体操」のみ。
この簡単すぎる「おでこ体操」が、余計にわたしを焦らせた。
これだけで本当にいいの?
9日余りもリハビリらしいリハビリをしなかったら、オットの嚥下障害の状態がこのまま固定化されたりしないの?
そう思っても、相談できる相手は休診中の病院にはおらず。
オットに一日でも早く、お水をゴクリと飲ませてあげたい、一口でいいからご飯を食べさせてあげたい。
そして、出来ることなら、また「おいしいね」と一緒に食事がしたい。
その思いがどんどん強くなって。
とうとうジッとしてられなくなった私は、見ず知らずのブログ主にコメントを送ってしまった。
藁にもすがる思いで。
ブログ主は、オットと同じワレンベルグ症候群を発症し、今は社会復帰されている。
頼らせてもらったのは、発症当初は嚥下障害があったものの、比較的短期間で回復されたようだったから。
どんな過程を踏んで、どんな風に回復されていったのか、具体的に知りたかった。
今でも、その人のブログを訪ねると、当時のわたしのコメントが残っている。
人並みの常識があれば遠慮する時期なのに、年の瀬の12月30日21:44に送信していた。
いま読み返しても、メッセージを送らずにいられなかった、当時の切羽詰った私の心の叫びがジワリと伝わる。
私は、ちょっとだけは遠慮したようで
『お時間のある時で結構です。もしお話伺えるのでしたらよろしくお願いいたします。はじめての訪問で厚かましいお願いをお許しください』
と書いている。
すると、翌日の午前中に、想像を超える文量の返信が。
そこには、ご自身がどのような心構えで、どのような方法で治るキッカケを作ったか。
その方法を何度も試し、辛抱強くチャレンジしたかが丁寧に詳細に書かれていて。
克服に効果のあった方法を、まとめてシェアしてくださるとも。
経験者でなければ話せない当事者の心の葛藤までも伝わる内容。
孤独な闇の中にでもいるような気持ちだった私は、わかってくれる人にたどり着けた安心感に包まれたのを、よく覚えている。
このネットを通じた出会いは、これまでの「治らないかもしれない」という思いから「治るかもしれない」と思わせてくれるチカラさえあった。
ほんとうにありがたかった。
クリスマスに知らされたオットの脳梗塞。
突然、後遺症と共生しなくてはならなくなった運命に、ショックと悲しさと底知れない不安でいっぱいに。
でも2014年の大晦日、わたしは一筋の光を得ることができた。
教えてもらった方法で、オットとわたしは自分たちで新たな自主トレメニューを作り、希望を持って取り組み、
そして奇跡の回復の日、2015年1月5日を迎えることになる。
(具体的な自主トレメニューは次回のブログに)
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